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経済/文化/民族
風景区内の主たる住民は、原住民ツォウと閩南人(福建出身の漢人)が中心で、茶山村にのみ少数のブヌン人がいる。 かつてツォウの人たちの生活範囲は嘉南平原にも及んでいたが、開拓漢人の勢力が侵入するしたがい、しだいに阿里山中に後退し、最終的な居住地は海拔七・八百メートル以上の阿里山郷の数部落に限定されるに至った。
漢人は当初、木材の伐採や樟脳の生産を生業としていた。定住地は阿里山鉄道に沿った沼平・奮起湖・水社寮などだったが、やがて拡散していく。また一部の人たちは瑞里・瑞峰・豊山などの地に入り、農業に従事していた。現在、阿里山の漢人は一万近くに達し、ツォウの人口は約六千人あまりで、漢人の多くは梅山郷の瑞里・瑞峰・太和、番路郷の公田・大湖・觸口・番路、竹崎郷の中和、阿里山郷の豊山・十字・中正・中山・香林などの村に集中している。またツォウの人たちは阿里山郷の達邦・特富野・里佳・楽野・来吉・山美・新美・茶山などの村落を形成している。
経済/文化/宗教
漢人の信仰は儒・釈・道・仏教などで、いろいろな寺廟を山中に建設している。重要な祭事には多くの善男善女が参拝に訪れる。また主な産業道路脇や古道上には、大小さまざまな、いろいろな歴史的背景をもつ土地公廟と有應公廟がある。ツォウの部落では、祖先の霊を崇めているほか、いずれの部落にもカソリックやプロテスタントの教会がある。
阿里山ツォウ(北ツォウ族)の的伝説によると、太古の時代、女神Nivnuが降臨し、人類を創造したという。この山こそ台湾最高峰の玉山である。 ツォウの別の伝説によると、彼らの祖先は洪水を避けるために玉山頂に逃れ、野の獣といっしょに生活した。水がひいたあと、溪流に沿って山を下り、原野を切り拓いたともいわれる。
ツォウには会所という観念がある。また部落全体で祭儀を催しうる勢力だけが大社と称することができ、これが一つの完全な政治実体となる。阿里山ツォウには八つの村落がある。来吉・里佳・楽野は特富野に属す。新美・茶山・山美は達邦社に属す。人口は約六千人余り。ツォウ人の社会組織は以下のように分類される:
(一)大社(hosa):いくつかの氏族の連合。
(二)氏族(aemana):いくつかの聯合家族により構成される。血縁がある場合もない場合もあるが、同一氏族間では婚姻は禁止。
(三)聯合家族(ongo-no-emo):いくつかの単一姓氏の家族により構成される。いっしょに耕地を耕し、渓流の漁場・アワ祭りの祭祀小屋(粟祭屋ともいう)を共有する。
ツォウには階級制度はないが、特殊な地位をもつ人物は存在する。
(一)頭目:一つの家族の世襲。
(二)征帥:戦争や首狩の指揮官で、ときには頭目が兼ねる。戦いが続くときは、数名の征帥が登場する。
(三)勇士:戦場で特殊な功績があった同胞。
現在、伝統的価値観や社会制度は一般の行政体系に取って代わられている。伝統の祭事の時のみ、頭目・征帥の一族が実権をふるう。
天神がツォウがもっとも畏敬する神様である。哈莫天神(hamo)は天地を支配する最高の神で、男神。平時は天上にあって、首祭の時のみ降りてくる。「小米収穫祭」の祭儀は、もっとも歴史があり、生活への影響も大きく、他のいろいろな祭儀と密切な関係がある。他の祭儀もアワの生長を願う意味が込められており、同胞の生活の安定を象徴し、ツォウの祭祀の核をなす。
阿里山ツォウにはいまも三つの祭典がある。一・瑪雅斯比祭典(あるいは称戦祭マヤスビ):全部落的祭典で、二大社(達邦・特富野)が交代で開催。だいたい二月あるいは八月。対象は天神と戦神で、会所およびその広場でおこなう。二・ 小米収穫祭 (アワの収穫祭Homeyaya): 家族的祭儀。毎年アワの収穫が終わったら開催。だいたい七・八月前後。対象は小米神で、豊作に感謝し、家族の団結力を養う。三・小米播種祭 (種まき祭Miapo): 通常、クリスマスから元旦にかけて年末に開催。アワをまく儀式によってその年の豊作を祈る。伝統として女子が主宰していたが、いまはとくにこだわらない。これも家族的祭儀。
狩猟はツォウ男子必修の生活技能で、生活を守り、肉体を鍛える意味のほか、社会的教育の効能がある。山林を駆ける野獣は大地の神が養っているものであり、勝手に捕獲してはならないという考えがある。猟にかかわるタブーや宗教的儀式は狩人必修の常識である
経済/文化/音楽
車を駆って茶畑を縫い阿里山公路を進む。169県道だろうと、129郷道だろうと、やがて織り成す緑の山並みがみえてくる。この土地こそ阿里山ツォウの住まう原野であり、ここにツォウの高山文化が生まれ、「山の如き」ツォウの音楽が育った。
ツォウ人浦忠勇は「台湾ツォウの生活の知恵」という本の中で、ツォウの歌謡を、山のように雄大かつ厳かな風格をもつと評している。また民族音楽研究者呉栄順は阿里山北ツォウの音楽を三つにまとめている:
(一)祭典音楽:戦祭(マヤスビ)に使用される祭儀の歌曲で、平時は歌えない。
(二)伝統生活的音楽:祖先から代々伝わってきた歌謡で、日常の生活の中で歌われる。歌唱法として独唱・斉唱・対唱の三種ある。
(三)創作音楽:ツォウの青年が創作した新曲で、ツォウ語の場合も国語(中国語)の場合もあるが、一般の流行歌のメロディにツォウ語の歌詞をつけた例もある。
経済/文化/歌舞
ツォウ伝統の歌舞
1.伝統舞踏:ツォウの舞踏は戦神の降臨を迎え、戦神とともに進むという意味がある。シンプルな動作が、マヤスビ儀式全体を貫く。簡単かつ質朴な肢体言語をもって内心の畏敬の念を表現する。一種の原始的な舞踏といえる。
2.伝統祭儀音楽:ツォウの人たちは滝の音に、音楽の深奥を感じ取る。湧き起こる水音が、ツォウの古歌の旋律の基本となっている。ツォウの伝統祭儀音楽は、祭の歌である。戦神の支援を求める歌曲で、同胞の勇気を鼓舞する。祭歌には、迎神曲・送神曲・戦歌(スローテンポあるいはハイテンポ)・歴史頌・勇士頌・天神頌・青年頌・亡魂曲などがある。祭歌の和声には五度・四度・三度および八度があり、とくに迎神曲・送神曲は、完全に五度の高低音の平行和弦が繰り返される。これがツォウ族祭歌の重要な特色の一つである。ツォウ伝統の楽器としては、口琴・弓琴・橫笛・鼻笛など、現存の種類は多くない。
3.伝統非祭儀音楽:ツォウの部落に広まった軽快なフォークソング。厳粛な祭儀音楽とは異なり、ツォウの仲間ならだれでも知っている生活歌謡であり、楽しい歌も哀しい歌もある。人々は即興で詩を補い、互いに対唱(デュエット)する。人によって解釈が異なるため、同じ歌でもいろいろな歌い方があって面白い。
ツォウの現代歌舞
21世紀の現代において、ツォウの歌はもはや天上の神のみのために歌われるわけではない。例えば世界を風靡した西洋のロックも山奥のツォウの部落にも波及している。ツォウの若者たちはそうした世界の流行を取り入れながら、ツォウならではの流行音楽を生み出している。以下はツォウの現代歌舞団の紹介である。
1.茶山─珈雅瑪楽舞団(Cayama):珈雅瑪(カヤマ)楽舞団は老村長李玉燕が村民に呼びかけて結成した。茶山の看板ともいえる〈珈雅瑪之歌〉は、李村長自身が詞を書いたもので、茶山の名物になっている。またツォウ独特の風情が漂う伝統歌謡のいくつかは、〈分享祭〉と題するCDの中に取り入れられており、ツォウ文化の窓口になっている。
2.来吉─哈莫瓦娜(Hamowana)楽舞: Hamowana(ハモワナ)は、ツォウ語で天神を意味し、団員は23人。2002年にツォウ「生命豆祭」伝統創新歌舞コンテストに参加し、観衆の絶賛を浴びた。のちに観光局の推薦で「香港国際旅行博」に参加したり、日本において台湾観光を宣伝したりした。ヨーロッパでもいくどもツォウ伝統歌舞を紹介するコンサートを開いている。
3.山美─達瑪雅耶楽舞団(Tamayahe): タマヤハは山美の音楽愛好家で結成。なかには農民や教師などいろいろな職業の人たちがいるが、いずれも専門の訓練を受けたことがない。一本のギターにあわせて自在に楽しくツォウの伝統歌謡を披露している。
4.山美─達娜伊谷舞踏団(Tanaiku):タナイクは主に村の青年たちが結成。陣容は強力で、現在阿里山郷ではもっとエネルギッシュに活躍しており、達娜伊谷の観光にも寄与している。演目は伝統の歌舞に限らず、他民族の文化も取り入れ、多彩である。
5.ツォウ原郷芸術団:団長は武山勝氏。成立以来12年。幾度も国際舞台で実力を発揮している。北米を訪れた時はマスコミの注目も集めた。
経済/文化/ツォウの工芸
ツォウの伝統工芸
ツォウの伝統工芸文化は主に生活雑貨にみられる。人々は身近にある材料を使って、農作業・狩猟・漁労・食事・娯楽など日常の生活に必要ないろいろな器物を制作する。天然の素材と両の手を使って、生活を豊かにしているのである。
ツォウの現代工芸
ツォウの部落に入ると、各所にいろいろな創意を発見できる。ツォウの工芸文化は各村が競い合う中で、ますます可能性を広げている。阿里山郷の山と水に、それぞれの知性が加わり、豊穣な創意を生む。ツォウの工芸は、服飾・竹籐編・木彫・石彫・織布・彩絵・陶芸・拼布・刺繡・麻線球など多士済々。実用的な器物のほかに、アイデア商品もますます増えている。
経済/経済/地方産業
かつて林業とタケノコが主たる阿里山の産業だった。タケノコは桂竹・麻竹・石篙竹・孟宗竹など種類は豊富。さらにシイタケ・木耳・アンズ、さらに茶葉・山葵・愛玉・甘柿などが特産品に加わった。近年は、明日葉・石蓮・香水百合・蝴蝶蘭などの商品作物が重要な産業として注目されている (詳しくは「農特産」と「美食」の項参照)。それぞれの時代にあわせて異なる物産が盛衰を繰り返し、阿里山の地方産業も平地の経済環境に大きく左右されてきた。それだけに資源の保護が重要課題になっている。
経済/歴史/阿里山開拓史
嘉義はかつて諸羅と称し、明の鄭成功の時代に、漢人が開拓を開始した。清代康熙末には、もともと平埔族の鹿狩場だった嘉義平原はおおむね開拓されつくしたといえる。乾隆期に入ると、嘉義の漢人たちは続々と阿里山の開墾に乗り出し、ツォウとの接触が始まった。阿里山の著名な歴史的人物呉鳳はそのなかで登場する。当時漢人は梅山・竹崎和番路などの丘陵に分け入り、瑞里・瑞峰・隙頂・奮起湖などの集落を形成していった。この長い開墾の過程は、漢人と原住民ツォウの衝突の歴史でもあり、優勢な漢人に土地を奪われたツォウはしだいに山奥に追いやられた。
十九世紀末に台湾は日本に割譲され、日本の探査隊が阿里山中に広大なヒノキの森林を発見。これが当地の開拓史を大きく転回させる。日本人の手で阿里山鉄道がしかれ、大量のヒノキやクスノキが伐採され、平地に運ばれ、その沿線に続々と町が出現した。ツォウの人たちは鉄道によって、長期にわたって資源を奪われ、伝統の生活スタイルを変えざるを得なくなった。そして阿里山は観光名所としても知られるようになり、七○年代にはいると、森林資源が枯渇するにつれて、観光が阿里山の重要産業として注目を集める。阿里山には国内のみならず、海外からも大勢の観光客が訪れた。八○年代、阿里山公路が開通し、阿里山へのアクセスはますます便利になった。山地の開発は加速し、大勢の行楽客の訪問と、ワサビ・茶の栽培は当地の自然生態に大きな影響を与えるに至った。 2001年に、観光局阿里山国家風景区が成立し、かつての阿里山森林遊楽区のほか瑞里・豊山・太和などの漢人村落およびツォウの達邦・山美・茶山部落も含めて、自然と風物の保護が強化され、良質で多様な景勝地として改善が進んでいる。
経済/歴史/ツォウ族の歴史
ツォウ=Tsouはツォウ語で「人」あるいは「人類」という意味である。ツォウは自らをTsou Atoana (ツォウの仲間)と呼び異民族と区別した。かつて清代の文献では「曹族」と表記されていたが、Tsou、あるいはCouは、ラテン語で「ツォウ」の人たちの発音をより正確に表現しようとしたもの。1998年になってツォウ人自身の希望により、「曹族」との表記を「鄒族」に改めた。政府は民族の意思を尊重したのである。ツォウは一般に南ツォウと北ツォウに分けられる。南ツォウは高雄県三民郷の那卡布群と沙阿魯阿群を指す。北ツォウは阿里山の特富野社・達邦社・伊姆茲社および南投信義郷久美村の魯夫都社を指す。南ツォウ二群は、その言語・風俗・祭儀などの文化現象からみて、北ツォウとの差異はきわめて大きい。
現在阿里山国家風景区内で出会うツォウはいずれも北ツォウ。本インフォメーションも北ツォウを対象にしている。北ツォウ四社のうち伊姆茲社は百年ほど前に廃社となり、南投魯夫都社も日本時代に人口が減少し、移住してきたブヌンに同化してしまった。よって現在北ツォウは阿里山の特富野・達邦という二つの大社にとどまるのみである。阿里山郷の里佳・楽野・来吉・山美・新美・茶山といった村に居住するツォウ人は、いずれもこの二ついずれかの老部落に所属する。重要な祭儀がおこなわれるときは、それぞれ故郷の大社に戻って参加する。特富野および達邦部落の人口は現在六千人余り。生活は農業が中心。近年は高山茶・ワサビ・香水百合といった高経済作物が主たる収入源となっている。また近年、山美・茶山では達娜伊谷溪の魚群や涼亭節が、一定の観光収入をもたらし、部落の生活は改善され、同時にツォウに部落観光の観念が芽生えた。日本人の強権的な統治、戦後の漢人による原住民政策、西洋宗教の進入などによって、ツォウの文化は外来勢力に圧迫され続け、多くの社会問題を生んだ。人々の意識は高まってきたが、民族文化をまもるたたかいは休むことなく続く。
自然地理/気候/天気概況
出発前に「中央気象局」のサイトで、阿里山の天気を検索しておこう。あるいは「緑色精霊ネット」では金曜午後のGreencomで実況中継があり、阿里山周辺各地の道路状況、天候・昼夜の気温などの情報を得ることができる。HP:中央気象局http://www.cwb.gov.tw、緑色精霊資訊網http://greencom.com.tw。
自然地理/気候/自然災害
阿里山は台湾の著名な行楽地であるとともに、自然災害でも有名なスポットである。地震・山崩れ・台風・土石流・森林火災などがいくども園内で発生している。
なかでも台風のもたらす被害は広範囲に及ぶ。七・八月のシーズンに台風が通過すると大きな災害が発生することがある。近年でみても1996年の賀伯台風・2001年の桃芝台風などは一帯の環境と交通に深刻な影響をもたらした。
地震もまた軽視できない。1999年の921大地震による被害は甚大で、山中の道路が寸断されただけでなく、多くの家屋やホテルが倒壊し、多くの重要スポットが消失するとともに、忽然と新しい名所が出現したりした。
土石流は脅威である。豊山・来吉などでは豪雨のたびに土石流がよく発生する。豊山には村の入り口に土石流公園が設置されていて、大自然のもつ威力をみせてくれている。
森林火災もたまに発生する。とくに乾燥する冬は要注意。2002年の春には、大火災が発生した。火の手が部落にも及び、かつてツォウの新美・阿里山森林遊楽区・奮起湖老街なども火災になったことがある。
自然地理/動物/動物史
植物とともに台湾の動物には阿里山の名を冠したものが少なくない。例えば阿里山鴝(アリサンヒタキ)・阿里山亀殼花(アリサンハブ)・阿里山山椒魚・阿里山小灰蛺蝶(アリサンシジミタテハ)・阿里山黄斑蔭蝶(アリサンキマダラヒカゲ)など。これら必ずしも阿里山に固有の種というわけではない。初めて発見されたのが阿里山だったという由縁からそう命名された。
阿里山の動物調査史中、もっとも有名なのが帝雉(ミカドキジ)の発見である。
1906年、英国の自然採集者Walter Goodfellowが、玉山付近で鳥類の標本を採集していたとき、行李を背負ったツォウ人に出会った。頭上につけている白黒の羽根はみたことがない鳥種だった。後にかれが二つの羽根を英国にもちかえり鑑定したことで、帝雉の存在が明らかになった。
同年、Walter Goodfellowは阿里山中で台湾固有種の──阿里山鴝や栗背林鴝を発見している。
自然地理/動物/動物相
阿里山には、低海拔到から中高海拔にかけて滝・渓流・深い谷・原生林など多様な環境があり、そこは各種動物が棲息する空間となっている。すでに多くの哺乳類・鳥類・昆虫が発見されている。しかし開墾が過度に進み、原生林もその多くが消失した。そのため動物の棲息環境も破壊され続け、動物の数量は減ってきている。
自然地理/動物/代表的希少動物
<帝雉> (ミカドキジ)
帝雉(ミカドキジ)は、黒長尾雉ともいう。台湾中高海拔の山中に棲息し、台湾の雉科で中海拔における分布が最高。植物の芽や虫が主食。日頃、濃霧あるいは雨後、歩道わきや林の際でエサを求めているので、よく霧の中の王者と呼ばれる。
<藍腹鷴> (サンケイ)
1862年に英国人のRobert Swinhoeによって発見された。帝雉より四十年も早い。藍腹鷴は植物の芽・果実・昆虫・ミミズなどを捕食している。台湾固有種で、雄の羽色は藍黒、頭上に白い冠があり、足は紅色。雌は羽色が赤褐色で、V字形の黄色い斑が多数入っている。海拔三百メートルから二千三百メートルの広葉樹林にひそみ、なかなか見つけることはできない。
<栗背林鴝> (アリサンヒタキ)
阿里山の山鳥のなかで、帝雉とならび代表的な鳥類。中高海拔の山中に棲息し、1906年になって英国の自然採集者Walter Goodfellowによって阿里山山脈で発見されたため、阿里山鴝と命名された。阿里山鴝は草地や樹林の木陰で捕食している。あまり人を怖がらないので、里の道や開墾地に出てくることもある。
<繡眼畫眉> (メジロチメドリ)
ブヌン・ツォウ・パイワンなどの原住民が占いの対象としている鳥。灰色の頭、目の周りの白い輪が特徴的。集団で活動し、にぎやかである。鳴き声が「チョチ、チョチ)」ときこえたときは、吉祥で、狩猟可の意味。「チッ・チッ・チッ」と聞こえたときは凶で、猟や旅行を控えるという。
<阿里山山椒魚>
台湾固有種で、海拔二千メートル以上の原生林中のじめじめした溪谷にいる。身体は褐色にぬめっと光っている。少数の固体には不規則な白色の花紋がみられる。
夜行性で、昼は水辺の腐った木や扁平な石の下に隠れている。不連続の小さな群れの分布がみられるが、数量は少なく、保護両棲類に指定されている。
<虎皮蛙> (Rana rugulosa)
大型のカエルで、体長は15センチに達する。池畔あるいは水草中に棲息し、慎重な性格で、「グッ、グッ」という鳴き声が聞こえるのみである。
現在、過度の捕食と農薬の濫用、環境の変化により、数量は減少しているが、茶山・豊山・瑞里地区の水辺では夜間に特徴ある鳴き声がきこえる。
<台湾鏟頷魚>(コイ科)
通常、魚固魚とか苦花・苦偎と呼ばれている。水温20度以下の渓流を好むため、たいていは河川の上流に生息する。体長は丸みを帯び、口もとが円く突き出し、下あごがシャベル状で、角質の縁取りを持つ。主に水中の石に付着した藻類を食べる。水中で身を翻すと、陽光の反射で、きらきら白く光るのが特徴。
自然地理/植物/植物史
1854年に英国人Fortuneが淡水で蓪草を採集したのが台湾植物探査の出発点となった。阿里山の植物相の調査は、日本時代になってからで、その豊かな森林資源が注目を浴びてからのことである。なかでも1906年に小西成章と小笠源富二郎があいついで、台湾杉・阿里山神木を発見したのが、台湾植物探査史上著名である。
少し植物に詳しい人なら、阿里山を冠した植種はすぐにあげることができるだろう。阿里山櫻・阿里山十大功勞・阿里山榆・阿里山千金榆・阿里山五味子・阿里山忍冬・阿里山灰木・阿里山龍膽・阿里山繁縷・阿里山薊・阿里山油菊・阿里山鬼督郵・阿里山清風藤など多数に上る。通常、これらの植物は台湾において阿里山で最初に発見されたものである。その大部分は台湾中高海拔の山中に広く分布しており、すると、阿里山はこの海拔範囲では比較的調査の早かった区域だとわかる。
自然地理/植物/植物相
その海抜とともに、阿里山の植物分布は熱帯・暖帯・温帯・寒帯へと変わる。だいたい平地から海拔八百メートルの独立山一帯は丘陵地形の熱帯林で、植相として相思樹・山黄麻(キリエノキ)と構樹(コウゾ)が中心。産業としては龍眼・麻竹・桂竹林の栽培が盛ん。
独立山から海拔一千八百メートルの屏遮那は暖帯林の範囲に属し、樟・楠・楓・ブナ科の植物が多い。奮起湖と十字路一帯の柳杉林は比較的単一の植物相。茶園および孟宗竹林は山林を開墾して形成された景観。
温帯林とは屏遮那以上海拔三千メートル以下の地域を指し、阿里山五木(鉄杉・台湾扁柏・華山松・台湾杉・紅檜)は主にこに分布。なかでも紅檜(ベニヒ)の原生林は著名。三千メートル以上三千五百メートル以下の寒帯林には、主に台湾冷杉が生育しているが、阿里山山脈での範囲は少ない。
自然地理/植物/代表的希少植物
<紅檜・扁柏>
ヒノキに属する植物は、世界に六・七種ある。台湾には紅檜(Benihi)と扁柏(Hinoki)の二種である。紅檜の発見は一八九六年、扁柏は一九○一年に発見された。扁柏の幹はすらっとしていて、まっすぐ天に向って伸びる。紅檜の樹幹基部は大きくずんぐりしている。扁柏の樹皮は厚くて、辛味があり、紅檜の皮は比較的薄い。遠くからみると、葉の色でも見分けが付く。冬、紅檜の葉は赤褐色に変わり、上から見るとそくざに紅檜と知れる。また両者の最大の違いは実である。紅檜のほうは楕円体で、扁柏のそれは球体。紅檜の葉は鋭く尖っていて、ちくちくするが、扁柏のそれはそれほど尖っておらず、やや分厚い感じがする。
<台湾杉>
台湾杉は台湾でもっとも背が高く、約九十メートルに達する。幹は真っ直ぐで、家具の用材に最適。この種はまず阿里山で発見され、全植物中唯一ラテン語で Taiwaniaと呼ばれている。台湾杉が発見された時、注目を集めたのは、古代から残る種で、少なくとも六・七千万年以前の希少な生きた化石植物だったことである。
<樟樹>
かつて台湾中低海拔地帯に普遍的にみられた大喬木で、幹は樟脳の原料となり、十九世紀中葉から二十世紀初めまで、台湾の重要な輸出品だったことから、台湾は樟脳王国と呼ばれた。阿里山の中海拔地帯は樟脳生産の重要拠点だった。阿里山鉄道の樟脳寮駅の由来もここにある。今では樟樹(クスノキ)はほとんど伐採尽くされ、たまに大木が林間に残るのみである。
<水柯仔> (タイワンハンノキ)
水柯仔とはすなわち台湾赤楊で、山崩れ跡でよくみられる樹木である。台湾赤楊は一般に土壌保全のために植えられる。またタイヤル人は畑の地力を回復させる植物として利用した。柯仔林溪の左岸には多くの水柯仔が植えられている。ここにはかつて集落があったが、山崩れのために大部分の住民は転出した。
<台湾肖楠> (ショウナンボク)
台湾肖楠は一千メートル以上の山地に生育し、瑞里地区でよくみられる樹種である。交力坪駅前の台湾肖楠は、阿里山鉄道建設の折、九十年以上前に植えられたもので、阿里山森林伐採を見続けてきた証人である。
<台湾欒樹> (タイワンモクゲンジ)
ツォウの暦は漢人のそれと異なり、大自然の変化とともに進行する。もともとツォウの主たる農作物はアワで、台湾欒木は農作業の時季を知らせてくれる花として大切にされた。そのため部落の中には原生植物が残っている。毎年九月には黄色い花が咲き、十月・十一月には紅色・咖啡色に変わる。人々は咖啡色に変わると、十一月がきたことを知り、粟畑を焼いて種播きにそなえる。
<通條木> (ヒマラヤキブシ)
蓪草とも呼ぶ。以前は製紙の原料となった。海拔一千メートル前後の広葉森林に分布し、小枝を開くと白い芯がみえる。軟らかくて、弾性がある。ビニールがないとき、ツォウの人たちは通條木で兜を編んだ。
<台湾一葉蘭>
台湾一葉蘭(Taiwan Pleione)の学名はプレイオネ。ギリシャ神話に出てくる美しい女神である。1909年、探検家森丑之助が阿里山ヒノキ探索の行程で発見した。その名の通り、一枚の葉からなり、分類上は蘭科一葉蘭属。毎年春に花茎が伸びてきて、葉がしだいに開く。ラッパ状の特殊な唇弁があり、黄色い斑がみえる。ピンクの花弁や萼とのバランスがよく、海外にもその名が広まった。1992年農委会において「台湾一葉蘭自然保留区」が設置され、眠月石猴一帯に台湾一葉蘭鑑賞エリアが設けられた。 |
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